ひょんなことから料理の先生に

師走。

キッチンでおせち料理を作っていると、夫が「アンさんというアメリカ人女性と結婚した同僚に、『大晦日に家に来ませんか?タッパーを持ってくればおせち料理をお裾分けしますよ』と言っておいた」と申します。

夫・村上啓助(むらかみけいすけ)は、私に相談してから先方に返事をすることはまずありませんでした。

昭和ひと桁世代ですから、家飲みの時代です。

夫が独身のとき、上司宅で夕飯を食べさせてもらったのと同様に、独身寮にいる部下を連れて帰ります。

私がすべて飲み込んで対応してくれると信じていたのでしょう。

社宅生活では、それが奥さんの「甲斐性」というものでした。

その後、同じアパートに住むことになり、私の手料理を届けたり、アンさんに簡単な和食を教えたりと、おつきあいが始まりました。

ある日、アンさんは東京アメリカンクラブの集まりで、私のことを話したそうです。

すると、「その人に日本の家庭料理を教えてもらいたい!」という人が続出。

日本人と結婚したアメリカ人11人ドイツ人1人の計12人で「アンさんの料理教室」がスタートしました。

私が27歳のときでした。