激しいいじめ
桐壺更衣は、帝の部屋に向かう打橋(うちはし)に汚物をまかれたり、両側に戸のついた廊下に閉じ込められたりしました。
古代宮廷の時代ですから、上水道も下水道もありません。
汚物は樋洗童(ひすましわらわ)という係の者が宮廷の外へ持ち出します。
この係を手なずければ、こうしたいじめもできたのかもしれません。
廊下に閉じ込められた更衣が助けを求めたとしても、警護の者は右大臣の配下にあり、誰も助けてくれなかったのではないでしょうか。
寒い冬の夜であれば、とても惨(むご)いことです。