入室前には「両親講座」を受け、母親だけが頑張るのではなく、家族で協力し合うというのも先生の方針でした。このような〈親子〉を軸にした教育理論は難聴児に限らず、すべての子どもの教育に通じるもの。ぜひここでお世話になろうと思い、長女は幼稚園と並行して、週2回、「母と子の教室」に通うようになりました。
親としてつらいのは、「音がほとんど聞こえない」のがどういう状態なのかわからないことです。単に小さく聞こえるものと思っていたら、それだけではなく、音が歪んで聞こえているんだとか。そうと知ったときは驚きました。
72年には金山先生が教育の一環として「親の会」をつくることを提案され、多くの親の賛同を得て「母と子の教室 親の会」が設立。微力ながら私は会長になりました。
ボランティアの方を含めた尽力による「おたより」の発行、勉強会の開催、年に2度の合宿、毎月の幹事会、年1回の総会、のすべてを会費で運営。一仕事終えた後の懇親会では、子どもについての相談や情報交換、家庭の愚痴まで飛び出して楽しいものでした。
合宿には医局の先生方が来てくださり、普段は教室に通えない遠方の会員も参加して、夜遅くまで語り合いました。
子どものハンディキャップを代わってやることはできません。でも苦しみのぶんだけ、ひとつひとつの出来事に喜びを感じ、先生や親御さんと心を開いて語り合えたように思います。