愛犬の来ない場所で泣いて
たとえばYouTubeなどで自主製作した作品を発表することもできたはずだし、実際わたしが機材をそろえて「やってみたら」と勧めたこともあったんですよ。でも、やっぱり映画の現場を愛していたんでしょうね。
心臓で大病をし、集中治療室に入って生還したかと思ったらガンが見つかって……。
闘病は公表しませんでした。後で治ったときに「ガンでした」って言えばいいかな、って。
でも病状が厳しくなっていって、私に気を遣っていたのか、痛いとか辛いとかは一切言いませんでしたね。
コロナ禍の時期と重なり、思うように会えないこともありましたが、青山の前ではできるだけ明るく振る舞っていました。
やっぱり辛くて、家に帰って泣く、ということは何度もありましたが、愛犬ぱるるの前では泣けない。
犬も雰囲気を察知して、ストレスで毛が抜けてしまったりするんですよね。なので自宅のなかでぱるるに見つからない、泣ける場所を探したりしてました。
いよいよ、というとき、青山には「お世話になった方々への手紙を書いてほしい」と伝えたんです。でもそうしようとはしなかった。
自分の作品がある、それがすべてだから、と考えていたのかもしれません。