ペリー一行へのもてなし料理に用いられたクネンボ(九年母)

クネンボは漢字では九年母。インドシナ半島原産で琉球を経て日本にやってきた品種だ。

ペリー艦隊が大船団で2度目の来航をした1854年(嘉永7年)3月8日、日米和親条約の締結交渉開始時に、横浜応接所でペリー一行にふるまわれた饗応膳(きょうおうぜん)がある。

(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

この昼食は、ペリー一行300人と日本側の役人200人の計500名分、酒宴から始まる全90品を超えるフルコースの本膳料理であった。

価格は1名分が3両。当時の1両を米価でいまの物価に換算すると約5万円になる。この日の昼食だけに7500万円ぐらいがかけられたというわけだ。

口取り肴に当たる硯蓋(すずりぶた)には、伊達巻鮨、うすらい鮨、河茸(かわたけ)・千切昆布、花形長芋、九年母、紅蒲鉾(べにかまぼこ)が並んだ。関東では、クネンボがおいしい柑橘の代表であったことを物語っている。

この会食の様子は高川文筌(たかがわぶんせん)によって描かれた。横浜応接所は、山下公園近く、横浜開港資料館のあたりに建てられていた。

ペリー側が贈り物として運んできた4分の1スケールの蒸気機関車を運転してみせたのは、それから13日後であった。