カボスが料理人に認められたきっかけは太平洋戦争
カボスの由来もはっきりしない。大分県臼杵(うすき)市乙見には、1695年(元禄8年)に稲葉藩の医師宗玄が、京都から持ち帰ったカボスを植えたという言い伝えが残る。
いつの頃からか稲葉藩では、藩士が薬用として家の庭で栽培するようになり、臼杵や竹田に広まっていた。
カボスの先駆者は臼杵市江無田(えむた)の板井秀敏である。板井は1937年に、ひとりカボスの生産拡大に乗り出した。
実際に栽培が増えはじめたのはそれから約20年後、1960年に、大分県の地域振興果樹に指定されてからだった。品種は、1973年に樹勢の強さで県が選抜した「大分1号」が中心だ。
匠だけの隠し味の素材であったカボスが、広く九州の料理人たちに知られるようになったのは、太平洋戦争がきっかけだったりする。
戦争中は米酢など使えない。酢の代用品としてカボスを使ってみたところ、予想以上にいける味だということに気がついた、という展開が起きたのだ。
博多のフグ料理や水炊きにも使われているポン酢には、カボス果汁も加えるのが秘伝のレシピとなっている。「香母酢」の表記にも納得だろう。
スダチもカボスも日本生まれで、父親はユズだ。見た目や使い方も似ていて不思議はない。