さらに誕生パーティーまで
このように、出産の立会いや引き続いての儀式は、内裏から派遣されてきた乳母や、上臈女房たちが行う仕事だったようですが、女房たちにはさらに他にも仕事がありました。
それは「産養(うぶやしない)」と呼ばれる誕生パーティーの接待役です。後一条天皇の時には産養は生後三夜、五夜、七夜に行われました。
それぞれ主催者が異なったようですが、やはり最も華やかだったのは、「との」、つまり道長主催の五夜のパーティでした。そこでは、若くて気の利いた女房八人が、魔除けの白の礼服に髪をあげて白い元結で整え、白い御盤を中宮彰子のもとに運ぶのです。
そのメンバーは、源式部(加賀守源重文の娘)、小左衛門(故備中守道時の娘)、小兵衛(左京大夫明理の娘らしい)、大輔(伊勢斎主輔親の娘、『百人一首』の歌人、伊勢大輔)、大馬(左衛門大輔頼信の娘)、小馬(左衛門佐道順の女)、小兵部(蔵人という庶政の娘)、小木工(木工允の平文義という人の娘)。
紫式部も「姿形のいい若い人を集めて、向かい合って並ばせでいる様子は、大変見栄えのするものだ」としています。
彼女らはいずれも紫式部と同様の、中級以下の貴族の娘たちで、道長に指名されたといいますから、まさに晴れ舞台のはずなのです。ところがみんないやがって泣いていたと言います。どうやら日頃見慣れない若い公達がたくさん来ている中で目立つのが嫌、ということなのでしょう。
一方、紫式部は・・・明らかに楽しんでいます。高い身分でもなく若くもない彼女は、かなり気楽な立場でこのルポルタージュを書いているようです。