論理的記述ではなくレトリカルな描写
だが、偸盗だけならどうなるのかは不明である。殺したが盗まず、淫行はやるが酒は飲まず、しかし仏教の悪口を言いふらしている者はどうなるのだろうか?
実のところ、これは、論理的記述ではなくレトリカルな描写なのである。罪の種類と地獄の種類の対応関係が話のポイントなのではない。
著者の狙いは罪を重ねることの由々しさを聴き手に伝えることである。
幾度も幾度も1、2、3……と頭から戒律を数え上げることになるので、教理の暗記に便利ということもある。実に教育的だ。
というわけだから、各地獄における細かな罪状と細かな刑罰の区分も、論理性を伴っていない。どの地獄にも16個のサブの地獄が付属しており、その描写が長いのだが、分け方にも記述の仕方にも、教理らしい構造性がまるでない。
たとえば、殺生を犯した者の堕ちる等活地獄の場合、副地獄「屎泥処(しでしょ)」は鹿や鳥を殺した者が行く。
「刀輪(とうりん)処」は物を貪り生物を殺した者が、「瓮熟(おうじゅく)処」は生物を殺して煮て食べた者が、「多苦(たく)処」は人を縄で縛る、棒で打つ、遠国に追放する、崖から突き落とす、煙(けむり)責めにする、
あるいは子供をみだりに怖がらせるなどを行なった者が、「闇冥(あんみょう)処」は羊の口や鼻を塞いで殺す、あるいは亀を二つの瓦で挟んで圧殺した者が、「不喜(ふき)処」は法螺貝や太鼓で恐ろしい音をたてて鳥獣を殺した者が、「極苦(ごくく)処」は欲望のままに勝手放題に生き物を殺した者が行く。
以上、見て分かるようにかなり恣意的な分類だ。それぞれの罪状に対する刑罰も、糞責め、虫責め、火炙(ひあぶ)り、甕(かめ)で煎るなど、思いつくままに並べてあるだけだ。