汽船が生き残っていた理由
これはあくまで予定時刻で、河岸での荷物の積み卸しに手間取ると2、3時間の遅延は当たり前で、ひどい時には半日も遅れたという。
それでものんびりしたもので文句を言う乗客もなく、「会計さんの部屋」で売っている弁当を買い、船内販売の菓子を茶請けに一服しながら、船内で知り合った他の乗客と話に花を咲かせていた。
せいぜい100年少々の昔だが、分刻みで忙しく飛び回る現代日本人のご先祖とは思えない。
これだけ乗って運賃は60銭という破格の安さで、銚子までは明治30年(1897)に鉄道がとっくに開通していたにもかかわらずこの汽船が生き残っていたのは、ひとえにこの運賃のおかげらしい。
大正元年(1912)の時刻表によれば、列車は両国橋駅(現両国駅)から銚子まで船の5分の1以下の最速3時間15分で着いてしまうのだが、運賃は3等車でも船の倍に近い1円12銭もかかったのである。