「下筏」の記号

「昭和30年図式」で2種類になったと書いたが、ついでながらこの時に廃止された記号でぜひ書いておきたいのが「下筏(げばつ)」の記号だ。

常時筏(いかだ)流しを行う河川に記載されるもので、もちろん航路ではないが、今となっては川の歴史を物語る貴重なものだ。

明治末の多摩川の地形図にもこの記号は描かれていたが、「火事と喧嘩は江戸の華」ゆえの旺盛な新築需要を支えたのが奥多摩からの木材である。

上流で組まれた筏を多摩川に流し、現在の大田区の六郷(ろくごう)で引き揚げた。

筏乗りは危険な仕事だが賃金は良く、巧みに筏を操る若者はモテたそうだ。

農村に架かっている低い仮橋などひらりと跳び越え、橋の下を通ってきた筏に降りる。

身軽になった彼らが帰る道に沿って敷かれたのが現JR南武線で、沿線の溝口(みぞのくち)や登戸には「筏宿」があった。