渡船が減った現代
航路の話に戻るが、「平成14年図式」では用語が「フェリー」と「その他の旅客船」に変わっている。記号は従来の2種類と同じだ。
「平成14年2万5千分1地形図図式」(日本測量協会)の適用欄によれば、「渡船は、車両等の運搬が可能なフェリーとその他の旅客船に区分し、発着点及びその航路を取得する〔図上に記載する=引用者注〕。ただし、発着地点が同一で経由地のないものは、取得しない」としている。
後段の「発着地点が同一」というのは、あちこち回って元の船着場に戻ってくる遊覧船の類だろう。
これに加えて、航路が1キロ未満の場合はその全体を破線で示し、それ以上の場合は進行方向を明示する形で「発着地点から500m以上の航路」だけにとどめ、その先は描かない。
また、著名なものや重要なものについては航路などの名称を記すことになっている。遠距離フェリーの待合所などは「フェリー発着所」と記載する決まりだ。
最新の地形図およびネット上で閲覧できる「地理院地図」には、さらに新しい「平成25年図式(表示基準)」が適用されている。
ここでは再び記号が統合され、渡船やフェリーの言葉は消えて「水上・海上交通」の1種類になった。記号は「渡船(人渡)」と同じ記号で、航路などの扱いは「平成14年図式」と変わらない。
明治末までの多摩川では、川崎の六郷橋から青梅まで50キロ以上も道路橋がなかったが、現在ではどれほど大きな川でも立派な橋が各所に架かるようになって渡船はめっきり減った。
それでも全国を見わたせば点々と残っており、利根川では渋沢栄一の故郷・血洗島(ちあらいじま)にほど近い島村渡船(群馬県伊勢崎市が運航)が今も両岸を結んでいる。
残念ながら令和元年(2019)の台風19号の大雨で船着場が被害を受けて運休中というが、すっかり交通の主役が自動車や電車になってしまった今、9人乗りの小舟が往来するのんびりした風景はいつまでも残っていてほしいものである。
と書いた後の令和4年(2022)4月に廃止されてしまった。残念。
※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)
学校で習って、誰もが親しんでいる地図記号。地図記号からは、明治から令和に至る日本社会の変貌が読み取れるのだ。中学生の頃から地形図に親しんできた地図研究家が、地図記号の奥深い世界を紹介する。