長男・義信こそ疑いのない信玄の後継者だった
彼は信玄の長男で、正室の子どもでもあります。
信玄の正室は京都の三条という貴族の家のお姫様。もっともお姫様と言っても、当時は食うや食わずの姫ですが、それでも左大臣の格の家の方が京都から甲斐まで嫁いできた。
その正室が産んだ長男ということですから、義信は誰の目からも疑いのない信玄の後継者でした。信玄もそのように遇しており、基本的にはそれでまったく問題がなかった。
しかし義信は今川家から嫁をもらっていて、夫婦は大変仲がよかったらしい。だから妻への愛情のために、自分の父親が妻の実家を侵略することに反対した、というのも当然あるでしょう。
さらにより大きな意味として「三国同盟は順調に機能している」と義信が考えていた、という背景があります。この同盟があることで各勢力が背中を気にせずに済む。今川は西を攻め、北条は関東を守る。武田は信濃を支配下に収め、さらにその先に上杉謙信と戦うことができた。
上野へ兵を出した場合、今の群馬県のあたりで、北上する北条の勢力とバッティングする可能性はあったけれども、それでも現状、武田家の軍事活動は円滑に進んでいる。だから三国同盟を破棄してまで今川を攻める必要はないと反対したのです。
一方で、この時期の信玄がなにを考えていたのかというと、彼は海が欲しかったのではないか。海、すなわち港。信玄が港を手に入れるにはふたつの道がありました。
ひとつは川中島、今の長野市周辺から思い切って北上し、謙信の春日山城を奪取する方法です。そうすれば直江津の港が手に入る。当時の海運は、波の穏やかな日本海側が中心ですから、武田家としてはそれがベスト。
しかし謙信のいる春日山城を奪うのは難しい。であれば駿河に出て、今の清水港、当時の江尻の港を手に入れる方法がありました。ただし太平洋側は海が荒く、難船のリスクが高いため、交易の利益は少ない。だからベストとは言えない。
ベストの港が手に入るのが、謙信のいる春日山城。ベストではないが、侵攻が容易な駿河。どちらがいいのか秤にかけ、信玄は恐らく、三国同盟を破棄してでも江尻を取ることを選択したのだろうと思います。