日本には、長きにわたって愛されてきた<昭和歌謡曲>が数多くあります。日本人は、なぜ昭和歌謡曲に魅了されるのでしょうか?日本近代史を専門とする日本大学商学部教授・刑部芳則さんの著書『昭和歌謡史-古賀政男、東海林太郎から、美空ひばり、中森明菜まで』から一部を抜粋し、当時の時代背景とともに懐かしの名曲を振り返ります。今回のテーマは「戦時下の母と子を歌った『母もの』」です。
戦時下の母と子を歌った「母もの」
日中戦争が始まって最初のヒット曲となったのは、昭和12年(1937)8月にテイチクから発売された美ち奴「軍国の母」(作詞:島田磬也、作曲:古賀政男)である。
これは日活映画『国家総動員』の主題歌として作られた。
この歌詞の1番では、祖国のために名誉の戦死を遂げることを望み、我が子を駅で見送る母の姿が描かれている。
しかし、これは「建て前」である。実際に作詞者の島田磬也は「強い励まし文句の半面、我が子の無事を祈る母の悲願がこめられている歌曲である」という。
したがって、古賀政男はレクイエムかと思うほど悲しい「本音」の旋律をつけている。
この「建て前」の勇ましい歌詞と、「本音」の悲しい旋律とは、日中戦争下の戦時歌謡を読み解く鍵といえる。
淡谷のり子は「歌詞こそ勇ましい軍国調ではあったが、メロディーはいずれも哀しかった」と振り返っている。