お給料をいただくようになっても、学生時代とまったく生活は変わりませんでした。食料品は、スーパーの半額セール狙い。洋服もセール専門です。35歳で芥川賞を受賞した後、初めてちょっぴり高めの洋服に手を出しました。

とはいえ、純文学は儲かることを考えていてはできない仕事です。それでも原稿料が出るだけありがたい。学会誌は原稿料も出ません。賞をいただいて原稿料が入るお仕事をやらせていただけるようになったおかげで儲からない仕事もできる、という発想で今日までやってきました。

 

毎月軽自動車1台分の出費……

そんな私がお金と向き合わざるをえなくなったのは、両親の介護がきっかけです。まずは父。自宅で介護するようになり、初めて母が「お父さんは家にお金を入れてくれたことがほとんどない」と打ち明けてくれました。

それを聞いて、私は怒り心頭。父の介護から手を引く、と宣言しました。でもその父が、私に貯金を委ねてくれたのです。父はアメリカの年金をもらっており、通帳を見ると、けっこうな金額が貯まっていました。

父は日本語を話せないため、晩年は英語がわかるスタッフがいる老人ホームに入りました。入居一時金は、なんと2000万円。それも父の貯金でクリアでき、月々のかかりも父の年金でなんとかなりました。

次は母です。母は家が大好きだったので、絶対に家から離れたくないと言い張りました。しかも、ヘルパーさんを拒否。私だけでは看きれなくて悩んでいたら、ケアマネさんが「物事がどどっと進む時が必ずあります」と言ってくださった。その言葉通り、肺炎で入院中にまずは病院にヘルパーさんに来ていただくところから始まり、ヘルパーさんのケアに慣れてもらったのです。

私は仕事もありますから、24時間態勢でヘルパーさんをお願いしました。すると、毎月軽自動車が1台買えるくらいお金がかかります。幸い祖母が故郷の田圃を売って母に残したお金があったので、それを切り崩して支払いにあてていました。

母には長生きしてほしいけれど、お金がいつまで続くかわからない。考え出すとどうしていいかわからなくなるし、不安になります。そこで「将来のことは考えない」という方針が、ハッキリ固まりました。