形のないものを信じる気持ち
今は、父と母を見送って一人になったので、もはや気兼ねなくお金を使うことができます。というか、できるはずでした。でも私は、老後の資金をすべてつぎ込んで、母の作品を何とか残そうと一大決心をしたのです。
作品とは、絵だけではありません。母が心血を注いで作った家も庭も、いわば母の作品です。できれば母の家そのものを美術館にできないだろうか。そんな無謀なことを思いついたのです。
それはなにも、私の個人的なノスタルジーのためではありません。母は抽象画で一時代を築いた画家であり、男なら岡本太郎、女なら江見絹子と評価されたほど。美術史的にもきちんと残す意義があると思うのです。
土地にも母の思いがこもっています。私が通っていた家の近くのカトリック系の学校が、その土地をほしいと母に言ってきたのですが、母は断固拒否。すると「娘が学校にいられなくなる」みたいなことを言われました。
そこで私はその学校をやめて、プロテスタント系の学校に転校。なんだか、宗教戦争みたいなことになってしまい(笑)。そういう思いをしてまで母が守った土地と家ですから、娘の私がなんとか保存しなくてはいけない。
まずは絵を保存するところから始めようと思いましたが、そのためには修復しなくてはなりません。絵の修復をするには、絵具の成分を調べ、カビや汚れを落とし、げた部分を元と同じ絵具で埋めるなど、気の遠くなるような作業が必要です。
まず第一陣として、早急に修復しないと危ない絵を数点と、4枚くっついていたものを預けましたが、その修復代の見積もりがしめて370万円。毎月軽自動車が買えるくらいの母の介護料もすごいなと思っていましたが、それどころではない。
あっという間にベンツが買えます。でもそれは第一陣で、まだまだ先がある。それを考えると、今ここで貧血を起こしてしまうので(笑)、第一陣が終わったら、その時、考えようと。
絵の保存には温度と湿度の管理も必要なので、アトリエと倉庫の部分を取り壊して建て替える予定です。本来ならば神奈川県立近代美術館に寄贈することを望んでいるのですが、アトリエの建て替えと絵の修復がすんだら考えないでもない、ということなので。とにかく、すべて自費でやらなくてはいけません。