平安時代のメイクアップトレンドとは?

鉛から作るハフニという白粉で顔を白く塗り、紅花の紅を小さく口元にさし、頬にも赤い粉をつけ、「眉化粧」を施した。「眉化粧」とは眉を抜いて額に太く描くことである。

剃るのではなく、眉毛をすべて抜くのは相当痛かったに違いない。清少納言が『枕草子』第72段の「ありがたきもの」として「毛のよく抜くる銀の毛抜き」を挙げている。

眉を抜く理由は、感情の現れやすい眉毛を抜き、額に描いた眉なら感情を相手に読み取られることなく、常に穏やかで高貴な雰囲気を醸(かも)し出せるという平安貴族独特の美意識であった。

また、「お歯黒」であるが、古くからあったようで、虫歯予防に使われたという説もある。

上流階級では、十歳前後の女性は成人のしるしとなる通過儀礼として定着し、その後、女性の間では江戸時代には庶民まで広まった。

しかし、衛生的に良くないという理由から、明治時代に入り「お歯黒」と「眉化粧」は禁止されている。

これら、白(白粉)・赤(紅)・黒(お歯黒)の三色が日本の化粧の基本となり、江戸時代まで続く和の様式美として浸透していった。

また、身だしなみの一つとして「香」も取り入れられ、「練香(ねりこう)」が発展、定着する。

「練香」とは沈香(じんこう)など粉末状の原料を蜜や梅肉などで丸薬状に練り固めたお香で、自ら香りを調合し、オリジナルの香りを嗜みとして衣服にその香りを薫(た)き染(し) めた。