白粉・紅・眉・お歯黒の公家男性

日本独特の白(白粉)・赤(紅)・黒(お歯黒)の和の様式美だが、平安後期になると公家の男性は「白粉・紅化粧」「眉化粧」「お歯黒」をするようになった。

殿上人(てんじょうびと)だけでなく、身分の低い舎人(とねり)まで白粉はつけていたようだ。

『枕草子』第2段に「舎人の顔のきぬにあらはれ、誠に黒きに白きものいきつかぬところは、雪のむらむら消え残りたる心地していと見苦しく……」とあり、白粉がのっていないところは雪の下から土がまだらに見えるようで見苦しいと言っているのである。

当時、鉛の白粉は高価なものだったため、化粧は高い身分や階級を示す象徴としての意味を持つようになった表れと言える。貴族の男性化粧は江戸時代まで天皇を含めて続いていたようだ。

『承安五節繪』には、登場人物それぞれの名前が記されており、おそらく実際の人物に似せて書かれているからか、「引き目鉤鼻(かぎばな)」ではない貴族も多く描かれている。