摂関期に色分けが減少した理由
一覧表にあるように、摂関期(900年代以降)に入ってから上位貴族の当色が黒(くろ)に変更されていく。
大きな理由の一つが、紫染めに使用する紫草(むらさき)の紫根(しこん)が染料として使用できるまで成長するのに最低でも4~5年かかり、着用者が増えて、紫根の栽培が追いつかなくなった。
やむなく黒を混ぜるようになり、結果として黒になっていった。
三位と四位の位色が統一されたのは、参議に命じられた場合は四位でも公卿となり、三位と四位を位色で分ける必要性が薄らいだためだとされる。
当時の貴族達が上位の位色の袍を着ることが増えたこと、つまり地道な出世よりも、もっと早く上位の大納言・中納言などの官職に移行していたためだとされる。
また、下級官位の区別の必要性が薄れた背景から六位以下の叙位が稀(まれ)になり、六位以下の位色は深縹(こきはなだ/藍染で最も深い色)に統一されたようだ。
階級制度は色だけでなく、袍など衣服の素材にも及んだ。五位以上で冬は表は綾で裏が平絹(ひらぎぬ)、夏は表が綾で裏はこめ織という薄物、六位以下は夏冬ともに無文のこめ織。
「綾」は斜めに糸が走っている絹生地、「平絹」は経緯(たてよこ)に糸が走っている絹生地、こめ織とは細い糸で硬く織った生地で紬の薄物の感じである。
束帯の下に付ける表袴が白、裏地は紅で三位以上には文様が許された。下袴の大口袴は表裏地とも紅で、束帯着用時は必ず着用しなければならなかった。