平安貴族が心得なければならない「禁色(きんじき)」というルール

これには2種類あり、一つは天皇の赦(ゆる)しがなければ着てはいけないもの、もう一つは自分の位よりも上の色や材質を着てはいけないというものであった(代わりに下位の当色の着用は自由であった)。

これは、奈良時代の衣服令を供しているが、四位以上の位色が黒になってからは特権階級を助長させるものではなくなったようだが、前者は、平安朝で特権意識を著しくさせる原因となった。

禁色とは元々、平安時代の服制による赤・青・黄丹(おうに)・支子(くちなし)・深紫(こきむらさき)・深緋(こきひ)・深蘇芳(ふかきすおう)7色および有文の織物をいうものである。

青は天皇、赤は上皇、黄丹は皇太子、深紫は一位(皇族)の袍の色とされていて、他の3色はそれらの類似色であるため、また、霰地(あられじ)に「か」の紋のある表袴の着用が禁じられた。

赤色とは赤白橡(あかしろつるばみ)のことで少し茶色を帯びた赤色である。上皇とともに天皇が内宴時等で着用したもので、この赤白橡は内宴に同席する公卿の第一のものだけに着用が許された。

青色とは青白橡(別名:麹塵/きくじん)のことで、青みを帯びた黄緑色である。青といっても現代人が想像する色とはかけ離れている。

この青色は天皇が賭弓(のりゆみ/1月に行われる年中行事の一つ)や野行幸(のぎょうこう)時に着用したが、親王以下公卿と殿上人(こんじょうびと)も同じ青色を身につけた。