冠位によって色分けがあった(写真提供:Photo AC)
大河ドラマ『光る君へ』で注目が集まる平安時代。ファッションデザイナーで服飾文化に詳しい高島克子さん(高は”はしごだか”)は「平安時代こそ、日本史上もっとも華麗なファッション文化が花開いた時期」だと指摘します。十二単(じゅうにひとえ) になった理由とは?なぜ床に引きずるほど長い袴を履いた?今回、平安時代の装いとその魅力を多角的に解説したその著書『イラストでみる 平安ファッションの世界』より紹介します。

平安前期、冠位の数だけ増える色彩

日本で最初に制定された官位は、推古11(603)年に聖徳太子によって制定されたとされる「冠位十二階」である。約40年間続いたが、天皇・皇太子の服色(当色)については含まれていなかった。

その後、大化3(647)年に「七色十三階冠(ななしきじゅうさんかいかん)」が制定されたが、大阪府高槻市の阿武山古墳から出土した藤原鎌足のものとされる大織冠(たいしょっかん)が紫であったことから、冠と服色が同一系統であった可能性が高いとされる。

2年後の大化5(649)年には、さらに「冠位十九階」が改訂された。上中位官人が増加したためとされる。

この後、664年に冠位二十六階、685年に冠位四十八階、701年の大宝律令で冠位三十階となる。

奈良時代の718年の養老衣服令により唐の制度に倣(なら)い、礼服・朝服・制服の制度も制定され、基本的にはその制度が平安時代以降、江戸時代まで継承される。

平安時代に入った弘仁元(810)年、蔵人所(くろうどどころ)が設置された年、それまでは浅紫(あさむらさき)だった二位・三位も深紫をつけるようになった。

これは奈良時代から最上位の色が深紫であったことから、公卿達の深紫への志向によるものと推察される。深紫の袍を直用できることは上級貴族にとっても憧れであり、ステータスであったに違いない。

そして、前時代から続く位色制度は下位の貴族達にとっても出世欲を掻き立てたであろう。結果、平安前期(唐風文化時代)は、男性ファッションが日本の男性ファッション史上、最も色彩豊かで華やかな時代であったといえる。