浜名湖の自然に育つ

ここで袴田ひで子さん・巖さん姉弟の生い立ちを記す。

ひで子さんは1933(昭和8)年2月、巖さんは1936(昭和11)年3月、浜名湖のほとりの雄踏(ゆうとう)で、木材会社に勤める父・庄市さん、母・ともさんの間に生まれた。ひで子さんは6人兄弟の5番目の三女、巖さんは三男で末っ子だ。

ひで子さんは朝日が昇る頃に生まれたことから、庄市さんは「縁起がいい」と喜び、戸籍は「日が出る」の意味から「ひで子」として届けられている。

ひで子さんは学校へ通う頃から、子役から後に『二十四の瞳』などに主演した大女優・高峰秀子の愛称と同じ「デコちゃん」と呼ばれていた。

母からは頼られ、バスで行く遠方の買い物なども頼まれた。子供たちの遊びに入っていけない内気な級友の手を取って引っ張ってきて参加させる、子供の頃から「姉御肌」だった。

末の2人は仲が良く、ひで子さんは弟に学校の勉強を教えてやったりした。幼い巖さんは、どこへ行くにも「頼れる姉」にくっついて遊んだ。

休みの日は一家で浜名湖に繰り出し、船大工の腕もある庄市さんが作った木の小舟を湖面に浮かべた。「兄たちが沖で魚を釣り、私と巖はアサリを獲ったりした。ボラなんかがおいしかった」とひで子さん。