野党時代の自民党には迫力があった
野党にかくまで注文を付けるのは、我々自民党もまた野党になった経験を持っているからです。細川政権の約1年、民主党政権の3年余がそうでした。
自画自賛のようで恐縮ですが、野党自民党にはなかなかの迫力があったと記憶しています。民主党政権時の総裁は谷垣禎一先生、幹事長が大島理森先生で、私は政調会長を拝命していました。
下野した当初、我々はもう10年近くは与党になることはできない、という大変な焦燥感に駆られていました。とにかく自民党に国民の信頼を取り戻さなければならない。そのためにできることは何でもやる、という気概が、執行部にもわずかな党所属議員にも共通していたように思います。
我々は施策の一つとして、党の政策立案能力に重点を置き、国会審議を主戦場としました。従来の慣行を無視して政調の部会長に若手をどんどん抜擢し、国会でもテレビ中継のある予算委をはじめ、どの委員会の人事でも、政策能力、質問能力の高い者を登用し、民主党政権と侃々諤々の議論に持ち込むよう努力しました。
ですから例えば、環境部会長には、齋藤健先生、経産部会長にはまだ当選2回だった平将明先生、法務部会長には森まさこ先生が就任しました。現職の民主党の大臣と対峙し議論して勝てる、そういう人選でした。
予算委員会でも、質問者を質疑能力の高い議員に絞り、数日をかけて質問を練り上げる努力をしました。論ずべきテーマや資質を問うべき閣僚などの目標を明確に定め、徹底的に民主党政権を追及し、それなりの成果を挙げました。