禎子が冷泉天皇の系統を代表する存在に
三条天皇は譲位にあたり、東宮時代以来の本妻だった皇后藤原すけ子(すけの字は女偏に成)との長男・敦明親王を、新帝後一条天皇の東宮に就けることを道長に確約させます。
実際、東宮になった敦明親王でしたが、その時すでに23歳。後一条天皇(藤原道長の孫、彰子皇太后の子)より14歳も年上と、父を上回る歳の差の東宮となります。
そのため、摂関家の後見も得られそうにないこともあり、一年ほどで東宮を辞退して准太上天皇の待遇を受けることになります。
そして、その時すでに三条上皇はこの世におらず、また同母妹で伊勢斎王として三条天皇を支えていた当子内親王も、あの藤原道雅との恋が発覚したために父上皇の逆鱗に触れ、出家してしまいます。
こうして、時勢に翻弄された三条上皇は悲しい最期をむかえ、冷泉天皇の系統を代表するのは、道長の孫・禎子内親王ということになっていくのです。
『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)
平安後期、天皇を超える絶対権力者として上皇が院制をしいた。また、院を支える中級貴族、源氏や平家などの軍事貴族、乳母たちも権力を持ちはじめ、権力の乱立が起こった。そして、院に権力を分けられた巨大な存在の女院が誕生する。彼女たちの莫大な財産は源平合戦の混乱のきっかけを作り、ついに武士の世へと時代が移って行く。紫式部が『源氏物語』の中で予言し、中宮彰子が行き着いた女院権力とは? 「女人入眼の日本国(政治の決定権は女にある)」とまで言わしめた、優雅でたくましい女性たちの謎が、いま明かされる。