禎子の物語の前振りのように扱われた「三条の悲劇」

そのほかにも、『大鏡』の三条天皇の譲位後の記述にはおかしな所があります。

三条上皇が道長の次女、藤原妍子との娘・禎子内親王を大変かわいがり、その髪をたぐって「こんなに美しい髪が見えないのが残念だ」という場面があるのですが、三条天皇が亡くなった時点で禎子内親王はまだ数え年で5歳。

まだ裳着の前の子供時代なのでそんなに長いはずはないのです。ここにも見え透いた嘘があり、三条天皇の悲劇が、娘の禎子の物語に続く前振りのように使われています。

さらに『大鏡』では、道長邸で養育されていた禎子が来るたびに、三条上皇が所領の券(権利書)をおみやげに持たせたと記されています。そしてまだ幼児の禎子がその所領の券を大事にしている様子を見て、道長が「賢い子だ」と感心した、というエピソードを載せています。

『小右記』によれば、禎子が産まれた時、男子ではなかったので不機嫌だった道長ですが、禎子が裳着をむかえる時にはすっかりお気に入りの孫になっていました。

『大鏡』の記事はその間のエピソードということになり、禎子はいわば三条天皇と道長の中を仲介したかのように書かれているのです。