実態を隠す「嘘の描写」
日中戦争が始まる頃から軍の関係記号は大々的にまとめられ、陸海軍を含む「陸海軍官衙(かんが)」という記号に差し替えられている。
星の下に錨を描いたもので、陸海共通というのは尋常ではないが、要するに実態を隠すための変更だ。これには日中戦争が始まった昭和12年に改正された新しい軍機保護法が関わっている。
その規定に従って地形図上での軍施設は非表示とされ、飛行場はたとえば桑畑や森林、兵営は田畑などとして擬装することが求められたのである。
改描の対象は軍施設に限らず、発電所と送電線、ダムと貯水池、造船所など重要工場、そこへ通じる貨物線(専用線)や操車場などに及び、それぞれ「嘘」の描写が実行された。
しかしアメリカ軍はさらに上手で、日本の地形図が隠したはずの軍の施設など詳細までお見通しだった。
たとえば地形図の改描版で桑畑や荒地、針葉樹林などに擬装された立川の陸軍航空工廠なども、戦争末期に米軍極東地図局が編集した1万2500分の1「Tachikawa」には、それぞれの建物に「エンジン修理工場」「金属切削加工場」「最終組立工場」「事務所」「銃砲工場」「風洞」「エンジンまたはプロペラ試験場」といった詳細な表記が並んでいて舌を巻く。
地図の欄外には図に用いた資料が列挙されているが、基図として日本の陸地測量部が作成した地形図を使い、さらに1944年12月および45年の1月、4月に撮影した空中写真(この偵察飛行を迎え撃つ力は日本にはなかったようだ)、これに加えて「インテリジェンス・データ」とあるから、何らかの手段で軍機扱いの工廠の平面図を入手したか、米国内の日本人捕虜尋問所などで聞き出した内容を反映させたのだろう。
ここまで完璧な地図を見せられると、やはり戦争の相手が悪かったとしか思えない。なおこれらの地図はテキサス大学図書館のサイトから“Japan City Plans”で検索すれば閲覧できる。