「奥方」との結婚式にて(下写真提供◎市川寿猿さん)

妻はついぞ褒めてくれなかった

奥方はパンが好きだったから、結婚してから朝食はずっとパン。暮らしのことは何もかも、僕が合わせていました。「私に全部任せて、あなたは舞台に専念して」と言ってくれてね。食事から掃除、洗濯、お金のことまですべて任せっきり。

「いくらか融通してよ」と頼んでも、「あら、お金なんてないわよ」と言われます。でも裏ではちゃんと蓄えを作っていて、いざって時にぽんと、「これを使いなさい」と出してくれる。

近くにいる間はわからなかったけれど、いなくなって初めて、本当に優れた優れた――(しばらく涙ぐみ)、いい奥方だったと思います。納骨堂に納めたのとは別に分骨したものを、写真と一緒に自宅に置いているんです。

九州出身の奥方は、小さい頃から歌舞伎好き。彼女は23歳の時に、新聞記者だった父親の転勤で上京しました。その際、遠い親戚に僕がいると知った彼女のお父さんから、「劇場へ連れて行ってやってくれ」と頼まれたのが出会いです。

2人で「一緒になろう」と決めたものの、親父さんは新聞社の部下と結婚させる腹だったらしく、「役者なんてダメだ」と猛反対。そこを奥方が、「たとえ生活に困って質屋通いをしても、実家には絶対頼りません!」と見事なタンカを切ってくれましてね。とうとう親御さんも折れて、僕が32歳、向こうが29歳の時に結婚できました。

当時はちょうど若旦那(スーパー歌舞伎で知られる三代目市川猿之助。後の二代目猿翁)が、三代目猿之助を襲名した大事な時期です。新婚旅行も行けないと言ったら、奥方の機嫌が悪くなっちゃって(笑)。何とか休みをもらい下田へ行きました。唐人お吉とハリスの物語は歌舞伎の題材にもなっているので、記念館に行った覚えがあります。

子どもがいなかったこともあって、夫婦の会話は芝居のことがほとんど。今月は誰がよかった、あの芝居がどうだなど、奥方の意見は参考になったものです。

僕の舞台も必ず初日に来るのですが、感想を聞くと「そうねえ、あんなものでしょ」って(笑)。評判がよくても、絶対褒めないんですよ。とうとう一度も褒めないまま、奥方は亡くなりました。悔しいといえば悔しいけれど、それが今の励みともいえるんでしょうね。