その頃の出来事はこんなふうでした。「76年 赤坂9丁目の6畳和室 風呂ナシ」、「77年 三宅家の近所、飯田橋のアパートに引っ越し 風呂アリ」。

じつは、一度家出を試みて、赤坂にある家賃8000円、6畳、風呂なしのアパートで一人暮らしをしてみたのですが、家主が夜中にほかの部屋のドアを蹴ったりする酒乱だったので怖くなって、1、2ヵ月足らずで浦和の実家にもどって挫折。

翌年、三宅さんのアシスタントになったのを機に、一人暮らしを実現したのでした。

秋山道男さん、林真理子さんの名前もあります。

79年に、編集プロデューサーの秋山道男さんの事務所で一緒に仕事をすることになった林真理子さんとの出会いは、衝撃的でしたね。

目立つことが苦手な私とは相反する性格で、強烈な上昇志向がまぶしかった。そんな人に接するのは生まれて初めてのことだったので、「こんな女の人がいるのか!」とビックリし、いい意味で常識が崩壊。

そのおかげで、物書きとして自分が目指す立ち位置が、おぼろげながらわかったのかもしれません。

後編につづく