一期一会

なぜ身につかないか、それははっきりしている。情報化時代だからであろう。情報とは停まったもので、生きて動いている存在ではない。

テレビのニュースは、ビデオにとっておけば、100年経っても見ることができる。あれは一見動いているように思えるが、その意味では停止している。それを情報というのである。あらゆる発言は、テープにとれば停まっている。いくらでも繰り返し聞くことができるではないか。

『わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた』(著:養老孟司 編集:鵜飼哲夫/中央公論新社)

しかしニュースを語るアナウンサーは、100年後には死んでこの世にいない。発言者は自分の発言をそのとおり繰り返すことはできない。かならず微妙に違ってしまう。

生きることとは、再び取り返しがつかない時間を通過することである。通過していく主体は、二度と同一の状態をとることはない。だからすべては一期一会 (いちごいちえ)なのである。