諸行無常

教育がそれを忘れて、もはや長いこと経つらしい。現代は情報化社会であり、おおかたの人々はそれでよしとしている。

それでも結構だが、そのときに忘れてならないことは、情報は固定しているが、人は生きて動きつづけているということであろう。情報が変化していくのではない。われわれが変化していくのである。それを諸行無常という。

養老孟司
養老孟司さん(2024年10月撮影。写真:本社写真部)

鐘は剛体だから、いつ聞いても同じ振動数で鳴る。つまり同じ高さの音がする。それが違って聞こえるのは、人の気持ちが微妙に異なってくるからである。それを忘れた世界では、「生きがい」などという妙なものが話題になる。人が変わっていくそのことが、微妙な味わいを持つ。それが諸行無常の響きであろう。

俺は俺だ。多くの人がそう思って生きているらしい。そんなもの、意識がそう主張しているだけである。すべては移り変わるが、それを引き起こしているのは自分自身である。それを忘れて、「生きること」が成り立つはずがない。人間は情報とは違う。停止しているわけではないのである。