歳を重ねるごとに、自分でもちょっとした時の表情が母に似てきたなと感じます。それだけではなく、ライフスタイルまで似てきたようで、自分でもびっくり。

母は60代頃からウォーキングをしていましたが、私はアクションの練習は好きでも、ウォーキングは好きじゃなかった。ところが最近は、母が歩いていたのと同じコースをせっせと歩いています。

母がハマっていた庭いじりも興味がなかったのですが、いつの間にか手を動かすようになって――コロナで自粛中、父から電話がかかってきて「今、何やってるんだ」と聞かれたから「ガーデニング」と答えたら、「やっぱりママの子だなぁ」と。(笑)

父とはずっと交流がありました。離婚後すぐに1人でアメリカの父のところに遊びに行きましたし、その後幾度となくアメリカを訪れていて。仕事も何度か一緒にしています。その父も、今はこの世にいません。

母の子であると同時に、父の子でもあるとつくづく感じることも増えました。私は大学時代から殺陣(たて)を学んできたこともあり、たくさんの夢や目標のひとつに、「日本の時代劇を世界に」という思いがずっとあって。

父が亡くなってからは特に、私だからこそできることがあるという気持ちが強くなりました。21年から殺陣の教室を開いているので、若い人たちの応援もしたい。

振り返ってみると、母との関係が変わってからの時間はわずか10年ほど。でもあの10年がなければ、親に甘えられなかった代わりに他人に依存する困った人間になっていたでしょう。

葛藤を経て得た母との濃密な日々は、本当の意味で自立するために必要な時間だったのだと思います。そのぶん、喪失感が大きいのは事実です。でも、もう大丈夫。私は前を向いて歩いていきます。