安倍神像神社の社殿(写真:『ルポ 国威発揚-「再プロパガンダ化」する世界を歩く』より)
「今日、歴史と文化がますます情報戦の武器となり、政治的な動員のための旗幟となっている」――。そう語るのは、評論家・近現代史研究者として各国の博物館や史跡を調査する辻田真佐憲さんです。今回は、辻田さんが約2年半におよび国内外の「国威発揚」をめぐった成果をまとめた『ルポ 国威発揚-「再プロパガンダ化」する世界を歩く』から、長野県・安倍神像神社についてお届けします。

安倍晋三は神となった

長野県/安倍神像神社(2023年7月訪問)

日本では安倍元首相を神として祀る神社が、銃撃事件よりちょうど1年の2023(令和5)年7月8日、長野県南部の山間に突如として出現した。その名も、安倍神像神社。誤植ではない。祭神となった安倍の像を祀っているので、安倍神像神社なのだという。

非業の死を遂げたため、なんらかのかたちで「安倍の神格化」が行われるのではないかとの懸念がかねてより燻(くすぶ)っていた。だが、これほどわかりやすい例もない。いったい、どんな人物がいかなる意図でこのような神社を建てたのか。その疑問は、しかし、宮司の名前をみただけでたちどころに解けてしまった。

そのひとこそ、佐藤一彦(素心<そしん>)氏。大阪府警の警官から神職に転じた異色の経歴の持ち主で、世界遺産にも登録されている奈良県吉野郡の吉水(よしみず)神社で長らく宮司を務めていた人物だ。

ブログで野党や朝日新聞などを批判しつづけていることで知られ、国威発揚現象を追いつづけているわたしにとっては、「ああ、あのひとか!」と得心する名物宮司なのである。

ちなみに吉水神社では、参拝の作法として「二礼一七拍手一拝」を推奨していた。通常の神社より、15回も手を叩く回数が多い。

それは、『古事記』にみえる天地開闢(かいびゃく)の神々一七柱(天之御中主神<あめのみなかぬしのかみ>から伊邪那岐神<いざなきのかみ>・伊邪那美神<いざなみのかみ>まで)に対応させるためという。この独特の主張を繰り広げているのが、ほかならぬ素心氏だった。

そして同氏は山口県出身であり、山口県同郷会や拉致問題解決の活動を行うなかで安倍とも交流をもっていた。このような事情を踏まえれば、安倍神社という突拍子もないプランもかれならやりかねないと得心したのだった。

とはいえ、思いついても実行に移すのは容易ではない。そもそもなぜ安倍とゆかりのない長野県なのか。その理由を聞くため、創建まもない安倍神社へと向かった。