どうやらそのパヴァロッティの衝撃が第1の転機らしい。そして翌年にはもう地元の新聞社、新潟日報社主催の歌曲コンクールの高校生部門に出場して、なんと、優勝してしまう。
――コンクールを受ける人たちって、大体、審査員のお弟子さんとか、何かつながりがあるんですよ。僕は何のつながりもなかったんで、誰だあいつ、みたいな感じ(笑)。
高校の音楽の先生も、何十人も受けて本選に行けるのは3人なんで、そこまで行ければいいね、って言ってました。課題曲は「ニーナ」……♪トゥレ ジョール ニ ソン ケ ニーナ、っていうのと、自由曲に「カタリ・カタリ」。
結果は一位でした。それが高3の7月で、そこから音楽大学へ行こうと思っても、ピアノは弾けないし、ソルフェージュ(音感レッスン)なんかもできないし。
でもどこの音大も受験科目にピアノの試験がある。浪人するのはいやだしな……と思ってたら、名古屋芸術大学は推薦枠があって、面接と実技、つまり歌うだけでOKだった。ここしかないと思って受けましたね。