23年、パレルモ・マッシモ劇場引っ越し公演にて、オペラ『ラ・ボエーム』1幕の舞台セットで(写真提供:笛田さん)

その名古屋芸大を首席で卒業。さらに同大学大学院へ進むが、大学在学中にはまた素晴らしい出会いがあった。

――オペラ歌手になりたいと思って入ったのに、なぜかオペラ科じゃなく声楽科に。そこで第2の転機となる恩師の中島基晴先生に出会ったんです。

その頃の僕は、どっちかというとバリトンだったけど、テノールになりたいです、って言ったら、最初に渡されたのがオペラ『アドリアーナ・ルクヴルール』(チレア)のマウリーツィオのアリア「君の優しく微笑む姿に」でした。

それですぐにCD買って勉強して。でもCDだとその人の癖があって譜面と違ったりすることもあるんで、譜面見て、ピアノを片手でポンポンとやって(笑)、確かめたりしてね。

中島先生はもともとオペラ歌手だったけど、かなり小柄な方だったんで、成功は難しいかなとお考えになったのかどうか、30代くらいからもう名古屋芸大で教えていらっしゃいました。

僕はまともなレッスンというのを大学に入って初めて受けたんですけど、先生がこう、♪ララララーとか♪アアアアーとか歌って、ほら行け、そら行け、っていうのに素直に従ったら、先生の乗せ方も上手なせいか、もう2回目のレッスンくらいからハイC(チェー)が出ましたからね。僕、素直なんですよ、今でも。(笑)