その関係に変化が訪れたのは、私が本気の恋に落ちたことがきっかけでした。彼と出会ったとき、私は32歳のこじらせ女子。それまでの私は《だめんず》ばかり選んでいました(笑)。

それには理由がありまして、祖母と母から婿養子をもらうことを望まれていた私は、「婿養子になってくれそうな男性が理想」という考えに囚われていたために、判断ミスばかりしていたのです。

そんな私がこの人だと思えるパートナーと出会い、仕事場と称し実家から徒歩5分のマンションで半同棲生活を始めてしまったのですから、さぁ大変。わが家の一大事でした。

時を同じくして、彼と私のことを反映させて書いた「背負い水」という小説が文芸誌に掲載されました。それを読んだ母から呼び出され、一方的に「不潔だ」となじられた私はガーン。

最初は、私のすべての基準である母から作品を否定されたことがショックだったのです。でも母は、作品でなく作品の中で描かれている彼のことを不潔だと言いたかったのだと気づいて、またもやガーン。

私はこの作品で芥川賞をいただいたのですが、胸の内は凍えたままで、母も「おめでとう」とは言いませんでした。なぜねぎらってくれないのかと詰め寄ると、「そんな他人行儀な」と一言。つまり母にとって私は自分の分身――二人は一心同体だから、ねぎらう必要はないというわけです。このとき私は初めて母に鬱陶しさを覚え、遅れてきた反抗期へと突入したのです。

母の言動を客観的に思い返すと、そもそも母は私が作家になったことを喜んでいないのではないか、という考えに至りました。

私が作家を志すと宣言した頃のこと。文学少女だった母も短篇小説を書いたことがあったけれど、自分には文才がないと思い知らされるような出来事があって燃やしてしまった、と話していたのです。

ならば娘が小説家になって嬉しかろうと思いきや、「私をネタにするな」と言い出し、ついには唯一の趣味だった読書も一切やめてしまった。こうした母の極端な行為から、どうやら娘の自立が気に入らないらしいと察し、私は愕然としました。