30代で迎えた反抗期
母は美意識の高い完璧主義者でした。私が中学生になった頃には創作活動が少し落ち着いて、絵を描く以外の時間を家事に充てるようになったのですが、非の打ちどころがなくて。
たとえばお弁当は、彩り豊かで栄養バランスも計算された《完璧弁当》。おまけに私は学校で「お弁当を3つ持ってくるアンナ」と有名だったのです(笑)。早弁用のサンドイッチ、お昼用にはお弁当箱の一つにご飯、もう一つにおかずがぎっしり。フルーツは皮を剥いた状態で保存容器に並べられていました。
当時、「ママの欠点って何?」と尋ねてみたことがあります。すると母は、少し考えてから「正直すぎることやね」と答えました。正直なのはいいことだと考えていた私は、欠点のない母には敵わない、と完全に打ちのめされてしまった。それ以降、私の中に「すべての価値基準は母である」という思いが居座るようになったのです。
その頃の私にとって、母は父性の人であり、母性の人であり、絵や本についての感想を語り合う姉妹や親友のような存在。
いつしか私は祖母から離れ、母と二人だけの世界を好むようになるのですが、このことを巡って祖母と母に確執が生まれ、諍いは数年間にも及びました。寄木細工のようにみっちりと組まれた母と私の間には、誰も入り込むことができなかったのです。