今でも、もしも作家にならなかったら……と考えることがあります。絵は好きだけど画家になれるほどの才能のない私は、おそらく一緒に暮らしながら母の絵の下塗りをしていたでしょう。考えただけでもゾッとします。でも母は、その未来を思い描いていた節があるのです。
母と別の道に進むことによって、私は救済された。母の望み通り彼と別れていたら、作家として成立しなかったとも思います。とはいえ、濃密な関係性にピリオドが打たれたわけではありませんでした。
愛と憎しみは背中合わせだと思います。あるときは表現できないくらい愛おしくて、あるときはこのうえもなく憎たらしくて。足して2で割れればいいのですが、そうはいかず……。距離が必要だと本能的に感じた私は、電話でやりとりするようにしていました。
でも、母は執拗に距離を縮めてきます。毎朝、携帯電話には母からの着信履歴がズラリと並んでいる。無視したいのに母の寂しさが伝わってきて、私はイソイソと実家へ向かってしまうのが常でした。
だからといって優しい言葉をかけることはしない――というより、近すぎてできないのです。母は母で嬉しさを表現するわけでもなく、私のパートナーの批判など言いたい放題。しかも私が最も嫌がる言葉を投げかけてくるので、その挑発に乗って私もひどい言葉を返してしまう。
「ママのせいで私は結婚できない、子どもを持つこともできない」と、強く責めてしまったこともありました。あれはかわいそうなことをしたと思うのですが、私はただ、「ママの意思を尊重したんだよ」「それくらいママは大切な人なんだよ」と伝えたかっただけ。だから母が一言、「わかってる」と言ってくれれば、それでよかったのです。
でも母は、口をへの字に曲げたまま黙っていた。私はとんだ甘ったれ、正直すぎる母は不器用なのだと思いつつ、それにしても共依存の苦しみはいつまで続くのか? と、暗澹たる気持ちになったのを覚えています。