車は前に乗るのが当たり前という父

助手席の後ろに乗ってもらうつもりで私がドアを開けると、父がムッとしたのがわかった。

「助手席に乗る!」

熱で朦朧としているとは思えない、しっかりとした自己主張だ。でも熱のある父が助手席に座っていると、私は横を向いてしまい、前方不注意になるかもしれない…。妙に敏感なところがある父は、私が躊躇しているのを感じ取ったらしく、さっきより冷静な口調で助手席に乗りたい理由を説明した。

「俺は60年以上も車を運転していたから、いつもフロントガラスから外の景色を見ていた。タクシーの時は別だが、普段は後ろの席に乗ったことはない。だから前の席じゃなきゃいやなんだ」

2021年に93歳で自損事故を起こして車を廃車にした後も、父は免許証を手放さないと言い張っていた。免許証返納を求める私と、運転しなくても免許証は絶対に手放したくないと言い張る父。しょっちゅう激しい言い合いをしていた日々が蘇る。

父は未だに心の中で、車の運転をしている自分が本来の姿だと認識しているようだ。ここは私が折れたほうが良いと感じた。

「わかったよ。助手席に座って少し背もたれを倒して目を閉じていて。熱のせいか、だるそうに見えるよ」

父と私の会話をじっと聞いていた介護士さんが、父を上手に車椅子から降ろして助手席に乗せ、見送ってくれた。

「病院に電話して、今朝からの様子を伝えておきます。車椅子の用意もお願いしておきますね」