道長の墓はどこに?

当時の貴族の通例として、葬式の日時と場所は陰陽師が定めることになります。道長の亡骸は鳥辺野で葬礼の儀式が行われた後に、荼毘に付されました。そして遺骨は藤原北家の先祖たちと同じく、宇治市木幡に埋葬されました。

ただし、ここが現代の私たちとは感覚が異なるのですが、遺骨が埋葬された地点には、当時の人々は関心を持っていないのです。

私たちにとってはお骨とお墓がセットになりますが、古代・中世人は先祖の遺骨をどのポイントに埋葬したか、というについて、意識していなかったようです。

高位高官に昇った藤原北家の人々の墓地群は、現在「宇治陵」として整備がされています。生前の道長は一族の菩提を弔うため、宇治に浄妙寺という寺院を創建していました。

けれどもこのお寺は中世末期には廃絶してしまい、道長を含めたほとんどの人々の正確な葬地は明らかではありません。