なぜか心が不自由なのだ
東京はお金がないと、楽しくない。
物価は高くとも、給料はそこまで高くない。高い家賃を払ったら、お金はそんなに残らない。何のために働いているんだろうな、と思うことがたまにある。稼いでは消え、稼いでは消え。そのサイクルを続けている、ただそれだけ。
地元よりはるかに便利なのに、なぜか心が不自由なのだ。何をするにも選択肢が多いから、何から何まで選べる。それが面倒くさい。ある程度決まったラインナップから選ぶほうが楽なのだ。
小さな箱に詰められ、常に窮屈さを感じている。地元にいる時は、なんだか深く眠れる気がする。車のうるさい音もなく、小鳥のさえずりと、風の音だけが聞こえる。草花や土の匂いで、全身で季節を感じる。神経が休まる感じがする。
都会には人がいっぱいいるのに、なぜかいつも孤独を感じる。田舎はほとんど人がいないのに、不思議と孤独は感じない。人の生活がはっきり見えるからか、常に誰かと比べ続けている気がする。東京で暮らすのは神経が削られ、心もすり減らされる。
東京にはなんでもある。あらゆるものが詰め込まれている。でも、空っぽなのだ。
そこまでして、私はなんで東京にいるのだろう。でもやっぱり、仕事のため、というのが唯一にして最大の理由なのかもしれない。
でも、この仕事に執着しているかと言われると、そうでもない気もしている。どこで生きるのが幸せなんだろう。答えは出ない。