イラスト=川原瑞丸
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は「振り返ると」。2024年はスーさんにとって、どのような1年だったのでしょうか。手帳に記されていた内容とは――

スケジュール帳を開いて

2024年もアッと言う間に終わってしまった……はずだ。この原稿を書いているのは12月頭。11月が一陣の突風のように過ぎ去っていったことにようやく気づき、まだ目を丸くしている状態である。

11月は寒暖差が激しかった。外気の肌触りが変わったり、晴れた空が高くなったりといった移ろいから、来るべき年末のにおいを感じ取ることが難しかった。バタバタしていたら終わってしまった、という印象です。

ついでに24年全体も振り返ってみよう。手元の手帳を開く。24年は元日から能登半島地震があり、いまだ復旧作業が思うように進んでいないのが痛ましい。

開いた手帳に目を落とし、少し不機嫌になる。大手文具メーカーの、なんてことない、しかし熟考に熟考を重ねた結果「これだ!」と決めた25年のスケジュール帳が、どこを探しても売り切れになっていたのを思い出したから。なぜ、もっとたくさん生産しないのか。おそらく、在庫を残したくないから。時期を逃すと価値が激減する商品だから。カレンダー同様、スケジュール帳は足が速い。

こんなことなら、ちょっとばかり端のほうがめくれていたのを買っておけばよかった。近所の書店で、11月下旬には見つけていたのだ。なにしろ11月が猛スピードで駆け抜けていったので、気づいたらどこにもなくなっていた。ネットショップでは価格が倍に吊り上がっている。なぜ? ウィークリーでバーチカル(時間軸が縦)でA5サイズの手帳なんて、市場に何種類も存在するではないか。みんなそれを使えばいいのに。

ならば、私がほかのを選べばいいのである。断じて嫌である。去年さんざっぱら悩んで、結局選ばなかったほうを今年こそ使いたい。去年のは悪くはなかったが、最善とも言い難かった。

もしかして、24年に私と同じような経緯を辿り、新しいのをさっさと購入した人がたくさんいたのかもしれない。そう考えると悲しくなってくる。平素なら仲間になれたかもしれない人たちが、こんな風にパイを奪い合う見えない敵になるなんて。スケジュール帳による分断だ。