(写真提供:Photo AC)
現在放送中のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』。横浜流星さん演じる主人公は、版元として喜多川歌麿や東洲斎写楽らの才能を見出した“蔦重”こと蔦屋重三郎です。重三郎は、どのようにして江戸のメディア王まで上り詰めたのでしょうか?そこで今回は、書籍『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』をもとに、日本美術史と出版文化の研究者で元東京都美術館学芸員の松木寛さんに解説をしていただきました。

版元となる

鈴木俊幸氏の「蔦屋重三郎出板書目年表稿」は、蔦屋重三郎が出版した版本類を調べあげた労作である。以後この資料によって重三郎の版元業の展開を見ていくことにする。

鱗形屋の系列に入った重三郎は、安永2年(1773)に吉原細見『這嬋観玉盤(このふみづき)』(勝川春章画)を、次いで同3年の正月に『細見嗚呼(ああ)御江戸』(平賀源内序)を売り出す。

そして、7月には版元として初めての出版物、遊女評判記『一目(ひとめ)千本』(紅塵陌人<こうじんはくじん>序、北尾重政口絵)を刊行する。

これは浮世絵界の権威者である北尾重政の起用など、その背後に鱗形屋のバックアップがあったと考えてよいだろう。