将軍と同母ながら身分の低かった清武
話は『べらぼう』の時代より、ややさかのぼって6代将軍の家宣。彼には、清武という同母の弟がいました。1つ年下です。
彼らの父は、3代将軍家光の3男で、5代将軍綱吉の兄にあたる綱重。ですから、家宣の子である7代将軍の家継が死去した際には、清武を8代将軍に推す声もあったようです。
しかし問題がありました。
清武は越智という家で育てられ、その家督を相続していました。そして越智家は大名家ではなく、旗本ですらなく、もっと低い身分の家(石高は300石)に過ぎませんでした。
そのため、彼が松平の苗字を許され(越智松平)て大名に列したのも、宝永4年(1707年)、で清武が44歳になってからと、極めて遅かったため、将軍になることに難色が示されたのです。