大阪を一緒にめざすことに
数日後、再びプロデューサーから電話。
どうしたのかと聞くと、寛平さんは箱根の山中で雨に降られて足がふやけてマメがいくつもできてしまったという。それをかばって走っていたら足の筋肉がつって動けなくなってしまったので、もう一度現場に来てもらうことはできないか、という相談だった。
サラリーマンなので無理だ、と言うと「なんとかならないか?」と引かない。
仕方がないのでありのままを当時勤めていた東京電力の上司に話すと、上司は「行けるなら行って協力してやれ」と言う。今考えると、ずいぶんさばけた上司だった。
新幹線で愛知県の知立に向かい、東海道沿いで待っていると寛平さんが到着。
そこから大阪を一緒にめざすことになった。