いつかはしっかりした会社に

まずは営業活動から始めた。

といっても何の手がかりもない。とにかく私がやろうとしている事業(新規マラソン大会の開催、プロデュース)の内容を、相手(企業)に知ってもらうための企画書づくりから始めた。

企画書づくりには、世の中の動向や社会情勢、政治動向などの知識が必要だ。

インターネットなどの情報収集ツールのない時代、活字情報に頼るしかなく、3大新聞、経済新聞、日経MJ(流通新聞)を徹底的に読み込んだ。あとは東京に営業に行くときの東海道線車内にある中吊り広告、テレビのニュースだけが情報のすべてだった。

そして片っ端から企業回りをした。ターゲットはスポーツメーカーや栄養補助食品を扱うメーカー。いずれも新製品を発売するときには大々的な宣伝活動や販売促進活動を展開するから、自分たちが開催しようとしている大会に協賛してもらおう、という魂胆だ。

市場としては市民ランニングがムーブメントを起こし始めていたから、タイミングがうまく合致すれば、協賛についてくれるメーカーもあった。

とにかく起業してからの7〜8年は、こういった企業協賛の獲得活動と新規開催の大会づくりに没頭したのである。
 
毎朝9時過ぎには大磯から都内に向けて出かけ、営業活動を終えて事務所に戻ってくるのは夜の9時か10時ごろ。それから事務所で待っていた節子と合流し、留守中の出来事を聞きながら遅い夕食をとる。

ひと息ついたらシャワーを浴びるか風呂に入り、それからまた翌日の企画書づくり。最初の4年間は自宅に戻って休むことはなく、事務所の2階に寝泊まりして過ごすほどだった。

いつかはしっかりした会社にしよう……という一念だけが、ふたりのモチベーションだった。

※本稿は、『天国ゆきのラブレター』(主婦の友社)の一部を再編集したものです。


天国ゆきのラブレター』(著:坂本雄次/主婦の友社)

本書では坂本さんと奥様の奇跡的な出会いから、手紙で育んだ愛、二人三脚で進んだマラソンへの道、節子さんが病に倒れてからの10年間が語られる。
出会いは坂本さんの修学旅行で中学生とバスガイドとして。一目ぼれしたものの、20歳の社会人が15歳の少年を相手にしてくれなかった。それでも坂本さんは手紙を送り、節子さんも返事をくれたため、文通が始まる。想いを募らせていく坂本少年に対して、大人の分別があり、ある事情を抱える節子さんは、簡単に気持ちに応えてくれたわけではなかった。屈することのない坂本さんに対して、徐々に気持ちを受け入れていく節子さん。前半は二人で苦難を乗り越え、夫婦として幸せになることを決意する様子が当時の手紙とともに。
お二人が結婚前に交わした手紙はなんと337通。サブタイトルの339通のうち、最後の1通は節子さんの棺の中に。一生を一人の人と添い遂げるのは簡単なことではない。そんな中で純愛を貫いたご夫婦は稀有な例なのかもしれない。それでも、坂本ご夫妻の61年は人を愛することの尊さを教えてくれる。