“平成時代の議論”vs.“昭和時代の議論”としての「高齢者集団自決」発言

“平成時代の議論”と“昭和時代の議論”がぶつかりあった象徴的な事件として、成田悠輔氏の「日本の高齢者は集団自決するしかない」発言があります。

成田悠輔氏が活躍しはじめたのは時期としては令和ですが、性質として彼は「遅れてきた“平成時代の議論”の権化」みたいな存在であると見なして話を進めます。

まず確認しておきたいことは、私は成田悠輔氏のこういう発言に反対ですし、余計に問題がコジれるじゃないか、という反発心もあります。

しかし考えてみてほしいのですが、ただただ成田氏を悪魔化し、「こんな悪魔的な議論をする存在を排除しさえすれば良い」とする発想も、「論破という病」なんですよ。

『論破という病-「分断の時代」の日本人の使命』(著:倉本圭造/中央公論新社)

「論破という病」にかからないためには、まず成田発言の趣旨をきちんと把握することが必要です。

断片的な切り抜きで悪魔化されがちですが、私は彼の発言が今ほど問題視される以前からその発言の全体像に触れる機会がありました。

「みんなの介護」というウェブサイトの中に「賢人論。」というインタビュー集があり、私は成田悠輔氏とほぼ同時期にそこにお呼ばれしたのですが、そのオファーのメールに参考として添付されていたのが彼の回の記事でした。

発言が問題視されてから彼の回は既に削除されてしまったようですが、「みんなの介護」というサイト内の記事だけに、この件について彼がどういうことを考えているのかがよくわかる記事でした。