グローバル経済に開かれるとは格差が拡大し社会が病むことでもある
「普通にグローバル経済やってました」というような欧米の国と比べると、日本社会はなにより安定しています。
犯罪率はとにかく低いですし、失業率も異例に低い。欧米(特にアメリカ)でよくあるような、都市の中心部で薬物中毒者が徘徊しているということもほとんどありません。
まだまだ製造業が頑張っている土地も多く、一握りのインテリに限らず幅広いタイプの職業人の自己効力感が生きており、アメリカのラストベルト(錆びついた地域)と呼ばれるエリアのように、地域全体が無力感と恨みをため込んで、巨大な政治的不安定さの原因になってしまっているということもない。
経済が世界一レベルだった全盛期に比べれば、全体として緩やかに衰退しているのは明らかですが、過去20年のグローバル経済に裸で飛び込んでしまった国が抱え込んでいるような解決不能の問題からは距離を置くことができているでしょう。
そういう意味で、「過去の日本をぶっ壊せ!」と言うだけでその先のビジョンは特になく、「アメリカみたいになんでできないの?」と言うだけでその先を具体的に考えなかった平成時代の「もっと“カイカク”が必要だ」という論調をシャットアウトしてきた意味もまた、あったのだという捉え方が必要なのです。