日本で最初に専門的な知識や技能を身につけた「看護婦」となった大関和。田中ひかるさんいわく「その功績はとても大きい」そうでーー
2026年度前期連続テレビ小説が発表されました。タイトルは『風、薫る』。日本の看護師の先駆者的存在である、大関和(ちか)と鈴木雅の2人をモチーフにしており、明治初期から中期を舞台に描かれます。ダブル主演のうち、一人は大河ドラマ『光る君へ』で藤原道長の娘・章子役が反響を呼んだ見上愛さん、もう一人は今年の4月にかけてオーディションを開催予定です。脚本は、ドラマ『あなたのことはそれほど』や『初めて恋をした日に読む話』などを手掛けた吉澤智子さんが務めます。原案となったのは、田中ひかるさん著書『明治のナイチンゲール 大関和物語』。そこで本書より、田中さんが大関和の生涯について紹介した記事を再配信します。


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コロナ禍を経て「エッセンシャルワーカー」として認知された看護師。国家試験に受かってはじめて就くことのできる専門職で、人の健康や命を守る尊い職業として広く認知されていますが、かつては「カネのために汚い仕事も厭わず、命まで差し出す賤業」と見なされていたと作家・田中ひかるさんは語ります。そんな中、日本で最初に専門的な知識や技能を身につけた「看護婦」となった大関和の功績はとても大きかったそうでーー

「我朝のナイチンゲール」大関和とは

前著『明治を生きた男装の女医 高橋瑞(みず)物語』の執筆中、参考史料のなかに、明治という時代をたくましく生きた女性たちを何人も見つけました。中でも興味を覚えたのが、「日本初の看護婦(看護師)」あるいは「我朝のナイチンゲール」などと呼ばれた大関和(ちか)です。彼女は、高橋瑞のような大胆さも持ち合わせながら、一方でとても繊細で、「泣キチン蛙(ナイチンゲール)」と言われるほどよく泣きました。

調べてみると、和は正確には日本初の看護婦(看護師)ではありません。明治の中頃、「ナイチンゲール方式」にもとづいた看護学校が相次いで創設され、偶然にも同じ年(明治21年/1888年)に卒業生を出していますが、和はその中の1人にすぎません。しかし、彼女が看護婦の技能向上と制度化に果たした功績を見れば、特筆すべき存在であることは間違いないでしょう。

また、和ほど知られてはいませんが、彼女とともに看護学校で学び、看護婦という職業の確立に貢献しながら、40代で突如引退を決めた鈴木雅の人生にも非常に惹かれるものがありました。二人はともにシングルマザーであり、女性の経済的自立の重要性をつねに意識しながら、看護婦の道を歩みます。

途中、身内の度重なる不幸などさまざまな艱難に出合いながら、それを乗り越え、突き進んでいく和の生き方は、現代を生きる私たちに勇気を与えてくれます。