日本史に登場する遊女たち
売春婦と泥棒は、俗に<世界最古の職業>と言われます。たしかに日本の遊女も古くから存在しており、『万葉集』には「遊行女婦」として現れます。
「遊女」という言葉が見られるのは平安時代です。大阪湾と淀川水系の水運で栄えた商業の町、江口や神崎などには遊芸をたしなむ遊女が居住していたことが知られています。
彼女たちの中には貴族を顧客とし、その子供を産むような女性もいました。また、街道の宿駅にも客と性的な関係を持つ女性が集住していました。
彼女たちは<長者>などと呼ばれる宿のリーダーたちに統括されていたものと推測されます。
たとえば父の仇討ちで有名な鎌倉初期の武人・曾我兄弟の兄、曽我の十郎祐成の恋人は、大磯の宿の遊女である虎でした。
『重須本曽我物語』によると、虎の母は平塚の遊女・夜叉王で、虎は平塚で生まれ大磯の長者のもとで遊女になったそうです。