同号には「家庭用軽便高速手編機」で婦人経済連盟賞を受賞した丹生三千代さんの手記も掲載されました。丹生さんは7人の子どもを育てながら、食料調達のために農業を始め、毎日がてんてこ舞い。家事の合間に素早く編める道具が欲しいと考えたのだとか。
同じように、自分のアイディアを形にしたいという女性が多かったのでしょう。53年には、「日本婦人発明協会」(現・婦人発明家協会)が発足。特許化や商品化に関する勉強会を行ったり、発明コンクール「なるほど展」を主催したりするなど、女性発明家たちの交流の場となっていきます。
その機運を受け、『婦人公論』でも、「サイドビジネス情報 あなたも特許夫人になりませんか」(68年6月号)という記事が掲載されました。7人の主婦が登場し、半生を語るのですが、紆余曲折が面白いのです。
佐藤昌子さんは、実家の医院の手伝いをしていましたが、忙しい時に限って薬瓶のフタが開かず、そのたびにイライラ。ある日、ゴムで道具を作ったら滑らないのでは? と考えました。試行錯誤して出来上がったのが、「モンキーキャップ」という瓶オープナー。月に約10万個売れたと言います。