就職先が日本にない
そこそこ順調に文法書は消化していった。それに連れてそこそこヒエログリフも上達していった(と思う)。そしてそれと同時に将来のことも考え始めたのである。
もともと一般企業に就職することは考えていなかった(バブルがはじける前だったので、大学の四年生のときには就職先は選び放題であったが)。そのような場で自分が働くことが想像できなかったのだ。
親戚に一般的なサラリーマンが一人もいなかったことが原因だと思う。イメージができなかったのだ(大城家は家族経営の小さな会社でほとんどの親戚が働き、それ以外はみんな美容師という一族であった。母方の祖父は画家で叔父は脳外科医であった)。
二つの研究会に所属していたこともあり、仲間内でも大学院進学というのが身近な話となっていたからであろうか、二年生の終わりくらいにはもう何となく進学するつもりでいた。問題は大学院入試に受かる実力が自分にあるのか、ないのかという点であった。
同じ西洋史ではあったが専門分野(研究対象の国)の異なる同級生が同じ研究会のなかにおり、彼も進学希望であったことも早めに進路を検討するきっかけとなった。まだその頃は、この世界の厳しさ・狭さをまったく理解していなかったと思う。
ヒエログリフが読めて、よい論文を書けば、どこからか声が掛かり、大学や博物館・美術館に所属する研究者になれると思っていた。そんな甘い世界ではなかったことに進学後すぐに気がついたが……。